『勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録』6話感想

『勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録』感想

※当ブログの感想記事では、作品を通して個人的な人生観を記録しています。

記事内容は、原作者やアニメ制作会社の意図と必ずしも一致しないことをご了承ください。

同族嫌悪

称賛も報酬もない、助けても感謝されることすらない、そんな勇者刑の罪人でありながら、他者のために闘うことを選択するザイロ。

テオリッタはそれが女神の本質と同じだと指摘しました。

テオリッタの指摘を否定できないザイロ。

ザイロは自己犠牲は馬鹿げていると思いながらも、他者を犠牲にすることを受け入れられない。他者を見捨てることは、自分の本質を見捨てることと同じだと感じているようです。

葛藤を抱えるザイロと、女神としての自己犠牲を受け入れるテオリッタ。

これまでのテオリッタに対するザイロ苛立ちは、まさしく同族嫌悪。

テオリッタに自分を犠牲にするなと命じても、それを完全に止めることができないことを、ザイロは分かっているんですね。

自己犠牲か罪悪感か

ザイロの心には、自己犠牲と表裏の関係で罪悪感があるようです。

坑道のエピソードでも、救って欲しいと必死に願う少女が登場し、その時ザイロは迷った。
救うことが難しい、救わなければ後悔するだろう。

助けを求める者を見捨てることは罪悪感を背負う。罪悪感を背負って生きるくらいなら、自己犠牲の道を選ぶ。

ザイロにとっての自己犠牲は本能的な選択であり、罪悪感からの解放なのでしょう。

セネルヴァへの罪悪感

女神は自己犠牲を厭わない。そういう使命を持って生まれてきたのだと、誇りにさえ思っています。

しかも、女神が報酬として求めるものは、使命達成への感謝と称賛のみ。

セネルヴァが女神の本質を失う行動を取る状況とは、女神の魂の死を意味します。ザイロの選択はセネルヴァの魂を救うためであり、セネルヴァの願いを叶えることでもあった。

しかし、ザイロは自分ではなく女神を犠牲にしたことに強い罪悪感があります。

彼らの戦いにおいて、それが避けられない結末であることにも気づいている。

だから、女神と関わることを恐れ、避けていた。

女神との共闘

再び女神と共闘することになったザイロは、当初距離を保ち、深く関わることを避けようと考えていたようです。

しかし、女神は人間を守るためにこの世に現れる存在で、テオリッタは「それが仕事(女神の使命)ですから」と自らの本質に生きることに迷わない。

大切なことから目を逸らしているザイロに、戦いに勝利することだけを考えるよう示しました。

ザイロにとって、すべてを受け入れ、自らの本質に従うという選択は、この場において最適だったのかもしれません。

本能のままに動く勇者たち

それぞれが独立した価値観で行動する勇者刑の面々。

ザイロが主導しているようでも、彼らは思い通りには動かない。それでもザイロは、ドッタやツァーヴの能力や特徴を把握しており、それぞれを自由にさせている。

結果として、ドッタが本能的に盗むべきと判断した棺桶(テオリッタ)が危機を救い、ザイロに従うことを選んだツァーヴが遠方から戦いをサポートする。

誰にでも本能的に得意なことがある。それを突き詰めていくことには意味がある。

得意なことが彼らに居場所を作り、そして、その能力がここにいてくれなくては困る存在に彼らを昇華している。

そう考えると、得意な事を伸ばすことは、苦手なものを克服するよりはるかに価値があると感じます。

覚悟

ザイロはテオリッタとの共闘のなかで、ある覚悟を決めました。

それは、女神の生死を決め、罪を背負う覚悟。自分の選択とその結果を真正面から直視する覚悟。

迷いが消えたザイロが、テオリッタの運命をどう変えるのかに期待します。

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