司馬遷『史記』の列伝を読む 第3回

『史記』列伝

『史記』列伝の第三は「老子・韓非列伝」です。この章では老子、荘子、申子、韓非子について書かれていますが、メインとなっているのは韓非子です。

老子・荘子・申子について

老子は、春秋戦国時代の周の人で、宮廷図書室の記録係だったとされていますが、本当に実在したのどうかは疑問視されています。老子は「道」に従う無為自然を説きました。2世紀ごろに成立した中国固有の宗教である道教では、老子が神格化され「太上老君(たいじょうろうくん)」として信仰の中心となっています。

荘子は、老子の思想を受け継ぎ発展させました。荘子のありのままを尊ぶ「無為自然」といった思想も道教に取り入れられ、荘子も神格化され「南華真人」と呼ばれています。

申子は、戦国期の法家思想家で、韓の昭侯に仕え、宰相として国政を整えました。『申子』を著したとされますが、散逸しています。

韓非子

韓の公子だった韓非子の理論は、現代にも通じる人間心理の考察が特徴です。

説得の難しさ

戦国末期、韓非子が生きた時代は自分が仕える主君に何を提言するかが重要でした。韓非子は、主君を説得する際のポイントを「説難篇」で綴っています。司馬遷はこの「説難篇」を中心に韓非子の項をまとめています。

主君の感情を理解

韓非子は、主君の感情を理解しなければ、適切な説得はできないという理論を展開しました。ありのままの感情の動きを、さまざまな角度から分析していることが特徴です。

例えば「失策に気づいている主君に、それを指摘しない」など、具体例を挙げており、これは現代にも通じるものだと思います。このような注意点がいくつか紹介され、それらを守ることで主君からの信頼を得ることができ、言うべきことを言えるようになると説明されています。

注意点はすべて、人間心理のありのままの反応をとらえたもので、非常にわかりやすい理論だと感じました。ビジネス書に現在も韓非子をテーマにしたものが多い理由が分かります。

弥子瑕(びしか)

弥子瑕は、衛の霊公に寵愛されたという男性です。彼は、霊公に愛されていたため通常であれば足を切られるような罪を犯しても、罰せられませんでした。

しかし、年齢とともに容姿が衰えると霊公の愛情を失い、過去の罪によって罰せられてしまいます。これは、時と場合によって変わる主君の感情で、一つの行動でも招く結果が異なる例として挙げられています。

韓非子は、主君に伝える「言葉の内容」よりも、今主君が自分に対してどのような感情を持っているかを推察することの重要性を伝えています。

人君の逆鱗

韓非子は、竜の逆鱗について説明した後に、以下のように綴っています。

人君にもまた逆鱗がある。人君を説くには、その逆鱗にふれないようにできたら、見込みがあるのである

小川環樹、今鷹真、福島義彦(2015)『史記列伝(一)』岩波書店 p.32

竜の逆鱗に触れれば、命を失う。主君の逆鱗に触れることも同じ結果を招きます。

策や知識の有無よりも、逆鱗を知る推察力の有無のほうが、よほど重要な時代だったともいえます。

当時、韓非子のいた韓は、秦・趙・魏など強国に狙われるような小さな国でした。韓非子の著作は国を越えて伝わっており、著作を読んだ秦王にその才を認められ、韓から秦に招かれました。

しかし、李斯の讒言により投獄され、紀元前233年に獄死したと伝わっています。

司馬遷の評価

人間心理を深く考察した韓非子。司馬遷は、韓非子の心理の分析について適切にとらえていたと評価しています。しかし、「説難篇」を著した韓非子が難を避けられず、秦で最期を迎えたことを悲しんでいます。

主君の心を理解し主君から信任を得るほど、周囲の嫉妬を受けやすくなり、讒言される可能性が高まる。これは、当時避けられなかったといえます。

韓非子が自国では重用されることがなく、他国の秦へ招かれながらも非業の死を遂げたことは、この世の理不尽さを感じさせます。司馬遷も自身の境遇と重ね合わせていたのではないでしょうか。

韓非子 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫)

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