第四回は、司馬穰苴(しば・じょうしょ、生没年不詳)です。司馬遷が取り上げたエピソードは、人間の本質が時を経ても変わらないことを示唆しています。
司馬穰苴とは
司馬穰苴は、斉の国の将軍です。司馬は役職名であり、司馬遷や司馬仲達などの姓を著す司馬とは異なります。諱(いみな=本名)が穰苴で、司馬穰苴と呼ばれてます。
彼は軍法に厳格な人物で、『司馬法』という兵書の著者と伝えられています。しかし、現代にはごくわずか、5篇が残るのみとなっています。
先手を打つ
司馬遷が司馬穰苴の項で書き残したエピソードは興味深いものでした。
才に恵まれていた司馬穰苴は、景公によって斉の国の将軍に大抜擢され、晋と燕に責められている斉の危機を救うことを命じられます。
しかし、身分が低い司馬穰苴は、部下が自分のことを侮り、命令を聞かず、戦に大敗する未来を予見していました。そのため先手を打ちます。
軍律に照らし罰する
司馬穰苴は景公に身分の高い「荘賈」を部下として借り受けます。結果は予見した通り、荘賈は面会を約束した時間さえ守らず、司馬穰苴を待たせます。
司馬穰苴を困らせ、侮辱し、自分の優位性を示そうとしたようです。これは現代にもみられる行為です。また、おとなしく命令を聞くことが自分の価値を下げると感じたのかもしれません。
司馬穰苴と「昼に軍門で」面会することを約束した荘賈は、司馬穰苴を待たせて宴会を続け、夕暮れに到着。
この行動を予見していた司馬穰苴は、軍律に照らして荘賈を打ち首にと命令します。事態を知った景公が急遽「荘賈赦免」の命令を出しますが、その命令を持って駆け付けた使者は、軍律に定められた「軍中で走ることを禁じる」項目を破ったと責められます。
前例を見せ軍を統率
軍律により、荘賈は打ち首となりました。景公の使者は主君の使者であるため、処罰を免れ、使者の従者が打ち首となります。この結果は全軍に示され、軍律の厳しさが周知されました。
相手の心理と行動を見抜き、先手を打つことでのちの災いを断ちました。軍の内にいる反感を持った部下は敵よりも恐ろしいためです。その内部の敵をどう屈服させるか。司馬穰苴は軍律という法を厳守させることで、災いの芽を摘んだといえます。
兵士とともに
司馬穰苴は、厳しいだけの将軍ではありませんでした。司馬遷が記している内容では、つねに兵士とともにあり、将軍用に用意されたものは兵士に分け与えていたようです。
兵士と同じものを食べ、病気の兵士を見て回ったため、これに感動した兵士たちの士気は高く、司馬穰苴によって斉は領地を取り戻すことができました。
司馬遷の評価
司馬穰苴により斉は危機を脱しました。しかし、これほどの才を持ちながら、司馬穰苴もまた讒言によって免職され、やがて病で命を落とします。
司馬遷も『司馬法』を読み、その内容に敬意を示しています。しかし、どうやら少し厳しすぎたようです。実践することは難しい、そういう側面があったために次第に失われ、5篇だけが残ったのかもしれません。
検討と実践。長い歴史の中でさまざまな理論が唱えられ、それに惹かれた人が実践し検証され、やがて優れたもの、実践可能なものが残ったと考えると感慨深いものがあります。


